2001insight

モノづくり立国日本を支える「小さな実物」の職人魂 鈴木邦宏 有限会社ファインモールド


6畳一間からスタートした模型づくり

 鈴木氏が、子供の頃から好きだった模型づくりを職業にしたのは29歳の時だった。ちょっと回り道をした結果である。最初に選んだ職業は建具屋だった。実家の建具屋を継ぐために工業高校に進学・卒業し、そのまま家業を手伝い始めたのだが、1年後に、父親から「お前は建具屋に向いていない」と言われ、転職を余儀なくされてしまう。のっけから人生設計が狂ってしまったのだ。

 仕方なく設計事務所に転職したのだが、どうも肌が合わず数年で転職。そうこうしているうちに、模型仲間の一人が岐阜にあるプラモデルのメーカーへ就職し、そこの協力会社である金型屋が人を募集していると聞きつけた。早速そこの社長に頼み込んで弟子入りに成功する。それは、鈴木氏が模型サークル「無限軌道の会」の設立に関わるなど、自他共に認める模型マニアだったことが大きく影響している。鈴木氏は、そこで初めて目にした金型づくりを4年半修業した後、自ら模型づくりに乗り出すことになる。ついに天職に就けるのだ。

 「1987年、29歳の時に『無限モデル』(翌年に『ファインモールド』と改称)を設立し、6畳一間から模型づくりをスタートしました。とにかく、模型マニアである自分が欲しいモノをつくってみたいと始めたのです。当時は無名のメーカーですから、大手と同じことをやっても勝ち目がありません。大手が手を出せないマニアックなもの、既製品にないニッチなものをつくることを目指しました」と、鈴木氏は当時を振り返る。

 マニアの支持を得るには、単に実物を真似た製品ではなく、その実物が存在した時代背景や設計者の思いを理解し、細部にこだわった「小さな実物」でなければならない。既存メーカーのプラモデルは、時としてそうした細部へのこだわりが見られず、マニアにとって大きな不満となっていた。自身が模型マニアである鈴木氏は、そのことをよく理解していた。しかし当初は資金がないため、最終製品をつくることができた訳ではない。6畳間で小さな部品の製作を請け負うことから始まったが、部品が売れてお金が入るたびに機械を買い増し、ファインモールドの土台を整えていく。

有限会社ファインモールド
ファインモールド社屋
ファインモールド社屋。ここからマニア垂涎のプラモデルやパーツが生み出される。

ファインモールドホームページ
http://www.finemolds.co.jp/

徹底した実証主義でマニアを引きつける

 その後資金が貯まり、製品を企画・製造できるようになると、鈴木氏が戦車好きということもあり、戦車・軍用機プラモデルのラインナップを目指して製品を発売する。ここで鈴木氏の徹底した実証主義が真骨頂を発揮する。旧日本軍の戦車や飛行機では保存物や当時の実物設計図やマニュアル、後に手掛ける映像上のメカでも撮影用模型や設定資料など、できる限り実物やその関連の原資料を探してリアリティを追求し、まさに「小さな実物」を再現した。また、製品に同梱する解説書にも、単に模型のスペックだけでなく、時代背景や掘り起こした事実を記載するなどして、マニアの間で評判になっていく(写真1/写真2)。

 「私たちはそうした資料や実物に接した時、生み出されるにあたって関係者が注いだ情熱を強く感じずにはいられないのです。現在は想像もできないですが、戦前/戦中の日本は地理的、政治的な要因から技術的刺激の限界や基礎工業力の低さを脱却できず、高次元で安定した性能を持つ工業製品をつくり続けることが難しい状況でした。戦渦と共に資材の枯渇、それに伴う技術力の限界とその過酷さはさらに極まります。そのように困難な状況下でも英知を結集し新機材の開発に取り組んだ関係者の苦労と情熱を、私たち自身もモノづくりの一端に携わる者として『つながる』と感じる部分が多くあるのです」と、「ファインモールドの主張」で鈴木氏は語っている。

 そして、高精度の模型づくりを可能にしたのが、金型屋時代での修業だった。いくら時代背景や設計者の思いを理解してモデル化しても、精度の高い製品を再現できなければマニアは支持してくれない。その鍵となるのが、プラスチックを成型する金型の精度だ。つまり、金型の精度を高めなければ、高品質なプラモデルをつくることはできないのだ。今では、高価なマシニングセンタやレーザー加工機を導入し、可能な限りの高精度を追求した、既存メーカーでは真似できない金型づくりを実現している。実証的なプラモデルの企画・デザインだけでなく、金型を内製化しているファインモールドならではの強みだ。こうした地道な取り組みが、マニアからも一目置かれる模型メーカーに成長する原動力となった。


ファインモールドの資料棚
写真1 マニアの厳しい目に耐えるよう徹底的に資料を渉猟して検討し、細部にわたって正確に再現したミリタリー用プラモデルで、ファインモールドの土台を確立した。


超精密1/700の艦船用パーツ
写真2 既存メーカーではできない、精密に再現された1/700の艦船用プラスチックパーツの「小さな実物」。それがマニアの心をしっかりと掴む。

『紅の豚』でミリタリーモデル専門メーカーから脱皮

 ミリタリーモデル専門メーカーと言われたファインモールドが、そのマニアの枠を越えて一般ユーザーに注目されるようになったのは、よく知られたアニメや映画に登場する飛行機のプラモデルをリリースしてからだ。最初は1999年、宮崎駿監督のアニメ作品『紅の豚』(1992年に劇場公開)に登場した「サボイアS.21」のプラモデル化だった。スタジオ・ジブリはキャラクターの商品化をなかなか認めないことで有名であり、いくつかの模型メーカーがアプローチしても不首尾に終わっていた。そこで鈴木氏は、『紅の豚』に登場する飛行艇を是非プラモデル化したいと考え、宮崎監督の下を訪ねる。

 「以前、宮崎監督とは一度お会いしたことがありました。そこで、直接監督に会いに行き、商売そっちのけでかっこのいい飛行機をつくりたいという話しを延々としました。最後に売れるかどうかはわかりませんが、やってみたいという話しをしたのです。そうしたら、あっさりと認められたのです。もちろん、すべての開発リスクはこちらの負担です」と、鈴木氏はそのときの様子を思い出しながら話す。

 鈴木氏のモノづくりに対する思いが通じたのだ。しかし、実際に「サボイアS.21」(写真3)のプラモデル化に当たっては、平面のアニメと立体のプラモデルのギャップを乗り越えなければならなかった。アニメはシーンによって戦闘機の形が違うので、どの形をベースにするかが問題となる。そこで鈴木氏は、一機だけ試作されたという設定の本機にできるだけ近づけたリアルな模型をつくることを目指した。アニメの舞台となった1920年代のイタリアの技術はどういうものか、当時のエンジンはどのようなものかという研究からスタートする。

 「当時のイタリアの戦闘機の多くはイソッタ・フラスキーニ社のエンジンを積んでいる。このエンジンはイスパノスイザ社のライセンス生産品で、同じくライセンス生産をしていた三菱重工さんがエンジンの図面を持っていることがわかりました。そこでエンジンが入る形にデザインが決まっていくわけです。模型づくりには、プラモデルの飛行機を知っていても駄目です。時代背景や本物の飛行機の知識が必要です。本物と2次元との兼ね合いをどう落とし込んでいくか。その落とし込みが下手だと、どうしようもない形になってしまいます。そこにセンスが要求されるんです」と、鈴木氏はWebマガジン『月刊チャージャー』(Vol.28号)のインタビューで答えている。

SAVOIA S.21

写真3 宮崎駿監督に直接会って版権使用の許可を取り、初めてミリタリー以外のプラモデルを手がけた『紅の豚』に登場するサボイアS.21。このプラモデルを発売したことによって、ミリタリーマニア以外にもファインモールドの名が広く知られるようなった。

『スター・ウォーズ』のプラモデル化で世界的に認知される

 そして、2001年、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』に登場する「Xウィング・ファイター」のプラモデル化によって、ファインモールドの名は国内だけでなく世界的にも知られるようになる。しかし、このときは身の丈を超えたプロジェクトとなり、かなりの覚悟が必要だったようだ。

 「ルーカスフィルムの日本での商品化権担当者と縁があり、『スター・ウォーズ』をやってみたいねということになったのです。やるからには中途半端なものはできません。実際に取り組めば、莫大な予算がかかることは目に見えていました。今までの身の丈を超えており、最初はやりたくないなぁと思っていたのです。ただ、周りからの期待が大きくて、結局取り組むことになりました。そのとき、契約をスムーズに行うために有限会社にしたわけです。ルーカスフィルムと話をして、映画で使われた小道具やプロップ(映画の特殊撮影に用いる模型)の資料提供を要求しました。それをベースにリサーチと解析を繰り返して、映画設定上の大きさから1/72に縮尺したXウィング・ファイターの手作りモックアップをつくり、ようやく国内限定販売という条件付きでルーカスのOK が出たのです」と、高いハードルを越えた時の思いを話す。   

 こうして『スター・ウォーズ』に登場する1/72のXウィング・ファイター(写真4)が発売される。ルーカスフィルムとの契約で国内販売に限られていたが、個人輸入などで海外に出回ったキットが高い評価を受けて、後に発売するシリーズ製品ではドイツの「モデル・デス・ヤーレス」(年間傑作模型賞)を受賞した結果、世界的にもファインモールドの名前が知られることになる。

スター・ウォーズ

写真4 『スター・ウォーズ』に登場する「Xウィング・ファイター」(右)と、その後プラモデル化した「タイ・ファイター」(左)。国内販売限定だったが意外にも海外プラモデルファンの手に渡り、世界的にもファインモールドの名前が知られることになる。

新しいニーズを掘り起こすことで活路を見いだす

 現在、ファインモールドのラインナップは、ミリタリーシリーズに加えて、紅の豚シリーズ、スター・ウォーズシリーズ、スカイ・クロラ(森博嗣の小説『スカイ・クロラ』を原作とした押井守監督のアニメに登場する散香マークB)へと広がった。しかし少子高齢化や価値観の多様化を背景に、模型業界の市場規模は2003年に1,000億円を割り込んで以来年々縮小しており、決して経営が楽なわけではない。常に新しいことにチャレンジし続けないと生き残りは難しい。

 「2007年のトヨタ70周年を記念して、トヨタの原点であるG1トラックのプラモデル化を提案しました。社内の有志組織であるトヨタ技術会(3万人)の皆さんと協力して取り組みました。G1トラックはトヨタが初めてつくった車であり、いかにポンコツであったか、トヨタ技術会の中で語り継がれていました。走るとひとたまりもなく壊れた代物だったそうです。車に関するオリジナルな技術はほんとどなく物真似だったからです。しかし、そうした失敗作をベースに地道に改善してきたからこそ、今日のトヨタがあるわけです。先人に学ぶことの大切さを、トヨタはよく知っています。そこで、ひとたまりもなく壊れたトラックという解説書も加えて、G1トラックのプラモデル(写真5)をトヨタ技術会会員向けに限定頒布するというプロジェクトが実現したのです」と、アイデアマンである鈴木氏は語る。   

 G1トラックは1935年、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎が乗用車に先駆けて完成させたトヨタ初のトラック(最高出力65馬力、最大積載量1.5トン)だ。「小さな実物を目指したい」という鈴木氏の熱意に答え、トヨタ技術会はG1トラック製作当時の図面など、段ボール6箱分もの資料を提供したという。鈴木氏は、完成すると見えなくなるシャシーフレームやエンジンの周りの細かい部品まで再現する企画書を提案し、トヨタ側が「ここまで精密にやるのか」と驚嘆し企画も通ったという。さらに、現在は牧野フライス協力の下マシニングセンタのプラモデル化に取り組んでいる。自社で使っている牧野フライス製立形3軸制御マシニングセンタの最新版「V33i」(写真6)の1/20スケールモデルだ。

トヨタG1型トラック

写真5 2007年のトヨタ創立70周年を記念して、トヨタ技術会向けに13,000台で限定販売した「トヨタG1型トラック」。(一般販売品ではないのでファインモールドでは問い合わせに応じかねます)

 「マシニングセンタのプラモデルをつくるにあたって、牧野フライスには実物の3次元CADデータを提供してもらいました。それをベースに、内部のコラム、テーブル、パレット、主軸、工具マガジン、工具交換装置、切削粉受けといった金型を設計しました(写真7/写真8)。約90点の部品で内部構造を忠実に表現します。外板を取り付けると内部は見えなくなりますが、一部透明パーツを通して見えるようにします。4月に開催される金型産業展『インターモールド2009』(東京ビックサイト、4月8日〜11日)の牧野フライス様ブースで発表します」と、鈴木氏は楽しそうに語る。   

 「『ここまでやるのか、馬鹿だね』と言われたい」と話す鈴木氏は、「前例がないからチャレンジする」がモットーであり、誰もやったことがないプラモデル化に取り組んでいる。新しいニーズを発掘することが、縮小する模型市場の中で生き残る道でもある。今回取り組んでいるマシニングセンタのプラモデルは、今までの模型ユーザーではなく、製造元やその機械を使用する企業の社員向け販売や教育に使ったり、日頃プラモデルに接していない人の興味を掘り起こすなど、模型市場の裾野拡大を目指したものだ。

3軸制御マシニングセンタ
写真6 精密な金型を加工する牧野フライスの立形3軸制御マシニングセンタ。ファインモールドでは、3次元CADによる製品設計や金型設計から金型制作、射出成形に必要な設備を全て自社で揃えている。また、取扱説明書の作成、資料棚などもあり、製品づくりのノウハウが集中している。

3次元CADデータ画面
写真7 牧野フライスから提供された実物の3次元CADデータをベースに、「SolidWorks」を活用してプラモデル用に設計された立形3軸制御マシニングセンタの金型画面。ファインモールドでは、設計から制作まで一貫して一人が担当することから、細部へのこだわりが生まれる。

3軸制御マシニングセンタによる金型
写真8 自社で使っている牧野フライスの立形3軸制御マシニングセンタで製作された、1/20スケールモデルの牧野フライス立形3軸制御マシニングセンタ用金型

モノづくりこそ日本の文化であり生き残る道

 次々に新しいことにチャレンジする鈴木氏だが、日本のモノづくり力が落ちていることが気がかりだという。その大きな原因は、依然として基本的な技術を開発するよりも量産技術に注力してきたこと、そしてメーカーは「より売れる」モノづくりに邁進した結果、つくる側の「モノづくり魂」が衰退したのではないかと憂える。

 「たとえば、現在も優れていると評価されている旧日本海軍の戦闘機『零戦』ですが、その中身を見ると基本的な技術は借り物でした。20ミリ機関砲はスイス製のライセンス生産品であり、計器類などの多くが外国製を参考にしたものです。前述したG1トラックと同様、戦前の技術は日本オリジナルなものはほとんどありませんでした。戦後も、オリジナルな技術を開発するよりも、量産技術の開発に注力した結果成長できたのであって、次代を切り開く技術は少ないのが実情です。これからはモノマネの技術は通用しません。日本独自の技術を開発しなければ生き残っていくことは難しいでしょう。また、『つくりたいモノ』より『売れるモノ』をつくってきたことも、今日のモノづくり力の低下を招いてきたと考えています。

 私は、売れるモノより、私がつくりたいモノをつくってきました。お金は結果であって、あくまでもつくりたいモノをつくるが原点です。それが『モノづくり魂』であり、それを忘れてお金が目的となるといいモノはできなくなります。私たちは、大儲けしたことがなかったのがよかったのだと思います。儲けすぎていたら、売れるモノを追求して道を誤っていたかも知れません。

 多くの企業、特に大企業は組織を維持するために、売れるモノを追求するようになった結果、どれも似たような商品になり、消費者にとって魅力がなくなり、売れなくなってしまいました。つくりたいモノをつくれる模型会社の適正規模は、売上げ3億円、社員は10人程度と考えています。それを越えたらつくりたいモノではなく、企業を維持するためにつくることになると思うのです」と、鈴木氏はモノづくりの原点はつくりたいモノをつくるという「モノづくり魂」にあると強調する。

 また、鈴木氏は「ファインモールドの主張」で、モノづくりこそが日本の文化だとも語っている。「私たちは『モノづくり』こそが日本産業、いや日本文化の根幹であると断言したいのです。多くの製造業で中国などの海外製造が当たり前になっていますが、実際ほとんどの海外製造現場では日本人の主導が恒常的になければ機能しないようです。これこそ『日本のモノづくり』がキチンと伝わっているという成果だと思います。『モノづくり』というのは日本のお家芸なのです。これを忘れてしまうと、日本経済のアイデンティティに関わる事態になりかねないと信じています」

 それは、自分が欲しいモノを追求し、マニアの視点で細部に徹底的にこだわり付加価値をつくることで、他社と差別化してきた鈴木氏が体得したものに違いない。モノづくりは全ての産業の基本であり、人と人をつなげる触媒だ。しかし、人と人とがつながっていくには、感動がないとつながらない。その感動を呼び起こすのがつくっている人間の「モノづくり魂」だ。鈴木氏は、日本のモノづくりを担う多くの技術者そして経営者がこの気持ちを忘れていることに我慢ならないのだ。その意味で、半完成品を自分で考えながら組み立てるプラモデルは、日本のモノづくり職人や技術者を育てる上で「モノづくり魂」を刺激する重要なアイテムだと、鈴木氏は考えている。だから、完成品が多くなった模型の世界でも、「つくること」を大事にしていくためにも、今後も挑戦を続けていく。

 「私たちは夢をつくる企業であり、半歩先を行かなければ夢を提供することはできません。しかし、マーケティングを行っても夢は見つかりません。自分がユーザーであれば何が欲しいかわかりますから、半歩先をいくものを提供できる。たとえば、ウォークマンが存在しなかった時代、それは技術者が欲しいという思いから生まれたのです。ですから、私はマーケティングを一切しません。ニーズはつくっていくものです。また、モノづくりは文化を知らなければできません。文化を理解した上で、つくりたいモノだけをつくり続けるという気持ちを貫くことでブランドを確立できると思います。フェラーリなどの世界の有名ブランドも、つくりたいモノを追求することでブランドを確立してきたのです。企画は死ぬほどあります。これからも、誰もつくらないモノ、ニーズを越えたモノをつくり続けます」(鈴木氏) (2009年3月)

文:佐原 勉/写真:山下武美





プロフィール
鈴木邦宏氏
有限会社ファインモールド
代表取締役社長
1958年生まれ。1977年、豊橋工業高校建築科卒業。その後、家業の建具屋の手伝いやサラリーマン生活を経て、1987年、独立して無限モデルを設立。翌年からはファインモールドとして戦車や戦闘機を中心にリアリティあるオリジナルプラモデルの製作を開始。1999年に『紅の豚』、2001年には『スター・ウォーズ』に登場する飛行機のプラモデル化を実現し、国内外の模型ユーザーから注目を集める。2004年に愛知県より愛知ブランド企業認定、2005年には、鈴木氏が豊橋市より「とよはしの匠」として表彰を受けている。また2007年には中小企業庁より元気なモノづくり中小企業300社に選定される。


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